2017年08月16日

今までの事

今までジジババは2人で生活してた。
ドア隔てた隣に、私の長男一家が同居してたので、緊急時とか日常の行き来とかできて、遠く離れて暮らす私は安心してられたのでした。

先月末、ババが居眠りしていてイスから転げ落ち、腕を打撲&肋骨にヒビ・・・
その事で次の日電話してババと話したら、何か変。
ろれつが回ってない。本人は突然入歯がおかしくなったと言ってるけど、声のトーンも落ちてる。
これはまずいかもと、ジジにこれ以上おかしくなったらすぐに救急車呼んでと指示。
夕方、ジジが救急車呼んで緊急入院となりました。
脳梗塞。
救急病院では、脳梗塞は軽いが高血圧がむごいとの事で、厳しい塩分制限食になってしまった。
塩分の取りすぎと言われても、ババは食が細くなり量自体を食べてないので、私たちには???な説明でしたよ。
家族は何やってたのかみたいな事を一方的に言われて、お嫁ちゃんはカチンと来たそうです。
お嫁ちゃんの話をまったく聞いてもらえなかったんだって。
ここに置いておいたら、ババはもっと悪くなりそうという感想を持ったらしい。
幸いなことに、リハビリ専門病院への転院を勧められ、1週間後には無事転院。

リハビリ専門病院で改めて検査をしてわかった事。
栄養失調!
高血圧も驚いたけど、もっと驚いた。

1週間後、主治医の先生から説明を受ける事が出来ました。
ババの脳梗塞は軽く、マヒもほとんど問題にならない程度。
足の筋力も、正常な方とほぼ変わらない。
高血圧も薬でほぼ正常値になってるので、大丈夫。
塩分制限食??そんなものいらないよ^^
問題は今あるいろいろな症状なのだけど、それは全部認知症の典型的な症状です。
食事が進まない(2時間くらい食べてる)
テレビが消えてもぼやっと見てる
眠い、動きたくない、気力がない
尿失禁(現在トイレに行きたいと申し出るのは1日2〜3回)

これまたビックリしました。
そして納得。
歩きたくなかったのは認知症のせいだったんだ。
とかね。
いろいろ思い当たる。

一緒に暮らしている父が、ずっとぼやいてたなぁ・・・
動かない、食事が終わらないって。

それで、退院してからはうちに2人とも来てもらう事にしました。
もう父がなんとか面倒を見るのは無理でしょう。
長男のお嫁ちゃんも、1歳と4歳の子供がいるのでこれまた無理とおもう。

来月にはじゅんびも整うと思うので、そこで引越しと退院です。
posted by せりりん at 11:20| Comment(0) | 介護記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

再びのこんにちは

このブログは、もう書く事もないと思っていました。
ですが、再び介護が始まる事が決まり、開くだけ開いておこうと思ってねw

とりあえず、開始!
posted by せりりん at 09:55| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月08日

介護を終えて

「長い間ご苦労様」と、何人もの人に声をかけられた。
義兄姉たちも、がばっと頭をテーブルにつけて、「長い間ありがとう!言葉に尽くせないほど感謝してます。」と言ってくれた。
この姿を見て、じい様が亡くなってから初めて涙がボロボロ出た。


長い間って、どれくらいだったんだろう。
じい様の家計簿を見たら、2002年の10月から開始していたので、この辺からじい様の介護が始まったのだ。

実はじい様、過去に色々大変な時期があり、夫の兄姉の家と我家を順番に移動していたのだ。
それが、2002年の秋に動きが悪くなってきたじい様を「私が面倒見ます!」と啖呵きっちゃって、我家オンリーに。
もともと我家はじい様の家。
義兄に言わせれば「あたりまえだろ!」だったんですが^^;

介護を終えて思うのは、寝たきりが大変なのは介護の経験がない人でもわかるけれど、実はそこへ行き着くまでの動きが悪い時期が一番大変だって事。
「何とか動ける。しかし、排泄は本人だけだと汚れ放題になる。」この時期が大変。
目を放した隙に「あららら〜〜〜!!!」なんて事もしょっちゅうあり。
夜中に部屋の隅にオシッコ。
廊下に点々とオシッコ。本人もびしょぬれ。
オムツは取ってしまうのでスッポンポンのまま、布団にオシッコ。
敷き掛け布団も本人もぐっしょりなんて事もあった。
この時期から、大のほうの失禁も始まる。

この時期は、手伝いを頼みようもない。
いつ何時大変になるかなんて、わからないので、ヘルパーさんを頼む事が出来ない。
結局、ショートステイやデイサービスの施設利用だけが、自分を休ませる事ができるのだ。
私は、施設利用をバンバンやって乗り切ったが、義兄夫婦からは「放り出している」と怒られた。
義兄夫婦も壮絶な介護経験を持っているため、私が逃げ腰なのが気に入らなかったと思う。

常に、義兄夫婦の目を気にしていたなぁ。
これも辛かった。
じい様、義兄夫婦の前ではいつだって優等生だったから。
私が現状を訴えても、「そんなことはない。じい様はしっかりしている」と言われちゃって・・・

しかし、この苦しさがあったから、私は主イエスキリスト様を信じることが出来て心が救われたのだ。
主のご計画はすばらしい…


私には、75歳と80歳の実父母がいる。
後5年もしたら、再び介護生活が始まるだろう。
じい様の介護経験は、きっと役に立つだろう。
そう思うと、じい様にも「ありがとう」と言いたいな^^
posted by せりりん at 23:16| Comment(7) | TrackBack(0) | 介護記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月30日

昇天

7月29日14:25
じい様は、天に召されました。

突然病院から電話が入ったのが14時15分ごろ。
「呼吸数が低下してます、できるだけ早く来てください」
との連絡に、夫の兄姉へ震える手で電話。
日曜日。
兄、すぐに電話に出て、「すぐ行く!」
姉二人、教会へ出かけていてつかまらない。
家の留守電にメッセージを放り込み、それぞれの携帯に何度も電話を入れる…でも出てくれない。
夫も仕事中で、携帯にかけても反応なし。
何度もかける。メールを送る。

そんなこんなで時間をロスし、病院へ私が着いたのが14:45頃。
すでにじい様は、穏やかな顔で呼吸が止まっておりました。

3日前から、再び苦しい呼吸になっていたので、やっと楽になってよかったね…と、物言わぬじい様に向かって話しかけました。

涙を流す暇もなく、いろいろなことが怒涛のように押し寄せて。
明日、お通夜、 明後日、お葬儀 です。
頑張らねば。
posted by せりりん at 21:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 介護記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月25日

小康状態

じい様は、今まで何度も入院し、もう駄目だと思う私の心配なんぞ吹き飛ばして元気に退院してきた。

今回はさすがにもう駄目かもと覚悟。
葬儀の事も、夫の兄姉たちと話し合いをしたり。

しかし・・・

本日、140もあった脈拍が、普段と同じくらいの70台で安定。
エラーが出て測れないほど低かった血圧が、測れるところまで高くなった。
お小水が出なくなったのだが、少ないながら出るようになった。
意識は相変わらずないのだけれど。

じい様の生命力ってすごい。
ビックリです。
posted by せりりん at 21:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 介護記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月23日

病院から呼び出し

じい様の容態悪化。
一両日中が山だそう。
posted by せりりん at 22:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 介護記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月21日

2度目の痙攣発作

必ずなると言われていた痙攣発作が19日に起こり、じい様は、まったく食べられない状態になってしまった。
それだけではない。
熱が37.6度、血中酸素濃度80%、血圧低く、肺雑音あり…

施設から呼び出され、あわてて行った私の目にぐったりとして酸素マスクをつけたじい様が飛び込んできた。
このじい様の表情には見覚えがある。
6月1日最初の痙攣発作を起こした時のじい様の表情そっくり。
呼びかけても、反応がない。
かろうじて、呼びかけに対して薄く目が開く程度。
声も出ないし、頭も目も動かすことをしない。

主治医の先生からお話を聞いた。
今の発熱は、痙攣によるものか、肺炎によるものか、今はわからない。
痙攣止めの薬を使うと、かろうじてバランスを取っているじい様の身体が、別の反応を起こす可能性がある。
なので、連続して痙攣が起こらない限り、痙攣止めは使わない。
症状に応じて、対応していく。
一段と低空飛行状態になったが、ここから元のレベルに戻るとは考えにくい。
ずっと低空飛行を続けると思われるけれど、いつ失速するかわからない。

との事だった。

看護士長さんは、「できるだけ早い時期に、兄姉様がたに連絡された方がいいですよ」と私に言った。
看護士長さんの経験からのカンであるので、はずれて、元気になるかもしれないけれど。

ともあれその言葉を聞いて、義兄姉へ連絡を入れて状況を説明した。
そして、今日までに、義兄姉、兄嫁、私の下の娘夫婦が、じい様に会いに来た。


強いじい様。
このまま低空飛行で行くのかな。
とにかく 苦しまないでいてほしい。
posted by せりりん at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 介護記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月11日

点滴

先週の金曜夕方に施設から電話があり、「食べられない状態が続いているので主治医の判断で点滴することになりました」と。
この日、午前中にじい様に会いに行ったのだが、眠い眠い状態でほとんど会話が出来なかった。
電話があった時、あぁやっぱりと思ったのだけれど、目が覚めればまた食べられると思っていたので、点滴もそう長くはしないだろうと思った。

本日。
看護士長さんからのお話。
目は覚めたのだけれど 嚥下の機能があまりよくなくて、一日一食を食べさせるのが精一杯だとの事。
点滴は続けざるを得ないようだ。

じい様は、話は出来るのだけれど、ものの2分もするとウトウト寝てしまう。
ちょっとぐったりモード。
肌の色艶や体つきなどは、まだ元気だなぁと思えるので、それほど心配じゃないのだけれど。
胃ろう(胃に穴を開けチューブで栄養補給)を断っているので、できることは点滴のみ。
いますぐどうこうという事は無いだろうけれど、少しづつ命の階段を下りているのだろうな。

じい様が苦しみも無く、ストレスも無く、眠っているうちに天国へ召されてほしい。
ただただ それだけが私の望み。
posted by せりりん at 21:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 介護記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月26日

落ち着いた日々

じい様は、療養型介護施設で落ち着いた日々を送っている。
歌も歌うようになり、戦争以前くらいまでの歌を色々歌っている。
介護士さんたちは、じい様の歌を「楽しい」と感じてくださっているようで、ありがたい。
同室の方々は、お一人は静かにいつも寝ているし、もう一人の方も鼻歌を歌う方なので、文句も出ず良かった良かった^^

一応、家へ帰るための準備施設であるため、入所中のリハビリ目標があるのだけれど、私としては現状が維持できれば、何もいうことは無い。
明日くらいから、車椅子に座る訓練が始まるそうだ。
でも、私の目から見ると家にいた頃と同じくらい元気になっているので、車椅子もまったく問題が無いんじゃなかろうか。
「できれば自分で車椅子が動かせるようになる事を目標に…」とリハビリの先生がおっしゃったが、えーと。
じい様、今まで自分で動かしたことが一度も無いんですが^^;
やり方を教えても、それを覚えていられないんじゃないかしら。
腕の力があっても、やり方がわからなくて出来無そう。
posted by せりりん at 22:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 介護記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月14日

移動

じい様は、T病院の個室から、隣の建物の療養型介護施設へ本日移動。
昨年夏に、じい様は転倒し動けなくなった。
その時に半月ほどお世話になった施設である。

見覚えのある婦長さんが、こぼれんばかりの暖かい笑みを浮かべて迎えてくれた。
婦長さんと話をしているうちに、今じい様がどんな状態にあるのか、さらにハッキリわかってきた。
私が感じているよりも、もっとじい様の状態は悪いらしい。
痙攣発作を起こした老人は、その後必ずまた痙攣発作を起こすそうだ。
それもだんだん、発作と発作の間隔が狭くなる…
そして、元気に見えても痙攣発作の後は、どこかのレベルが落ちているとの事。

今、元気に見えるからといって、家に帰るのは無理!とハッキリ言われた^^;
そうなんだ。
義兄と兄嫁が、家で介護しろと言っても、もう無理なのね…
私がつれて帰りたいと思っても、無理なわけね。

ずっとずっと無理かどうかは不明だけど。
状況が劇的に改善するとも考えにくいものねぇ。


それでも心のどこかで、じい様が帰ってくるような気がして緊張感が抜けないのでした^^;
posted by せりりん at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 介護記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする